観音寺温泉の歴史
応徳元年(1084年)に湯脈が発見され、永らく弥彦神社の神領となっていましたが、寛永十一年(1634年)長岡藩の領地となり、その後、天領,
新発田藩領地, 与板藩領地と変遷して明治に入り今日に至っています。
伝説として語り伝えられるところでは、 源頼義の次男加茂次郎義綱が、弥彦の庄司吉川宗方と共に黒鳥兵衛を討伐(黒鳥兵衛の乱)した際に、 戦に傷ついた武士達がこの観音寺温泉で傷を治したとされています。
また、江戸末期に於ける日本の温泉研究の権威者であった小村芙庵(長岡の医師)が記録した「越後薬泉」には、〜観音寺の湯〜として、以下の通り記載されています。
“冷泉なり、百姓七〜八軒、浴室ありて旅館を兼ねる。 泉孔は山麓平地にあり…(中略)泉は清澄、味い淡く、 徴く鹹く、硫黄息甚くして、泉花却て少なし……と。
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